私のお話

嫌だと思う気持ちや、納得の行かない気持ち。許せない気持ちや苦しい気持ちに押し潰されて、心が一杯一杯になって、私は深夜の道を歩いた。

その日は、珍しくイヤホンを持たなかった。無音の空間に、一人分の足音が聞こえるだけの時間。

この時期の夜は、あまり好きでは無い。常に雨上がりかの様なジメジメとした空気は、とても気持ち良いものでは無いから。

それでも私は足を止めなかった。特に目的地なんか無かったけど、適当に真っ暗な空間を歩いた。

辿り着いたのは、誰もいない広い駐車場。

進入禁止と書かれた看板のチェーンを跨いで、私は駐車場の中央地面に座り、一先ず背伸びをした。

〝もう、何でも良いや〟

そう呟きながら 地面に仰向けになって足を組み、まるでプラネタリウムの様な美しい星空を眺めた。

全ての時間を止め、脳裏で音楽を掛けて、私は私だけの空間を創り出した。それはもう、完全に無機質なものだった。

 

私の愛しい一等星〝アンタレス〟は、久し振りに観たのに 相変わらず直ぐに見つけられた。

(※アンタレスは、さそり座で最も明るい恒星で 夏の南の空に、赤みのかかったオレンジ色で輝く恒星の一つ)

 

私はアンタレスだけに目を集中させた。ただひたすら数分間、それだけを観ていた。一点を見過ぎたのか、時々視界が揺れた。星が、星に見えなくなったりもした。

ずっと見つめていたら 吸い込まれそうな、連れて行かれそうな、そんな感覚に陥った。

それが少し恐くもあった。だけど、此処にいたいという気持ちは少しも無かった。

 

私は、私自身の事を考えた。

私は私が嫌いで、人間が恐い。

 

自分が一つ息を吐くだけで、何百匹、何万匹もの微生物を殺しているという事。自分の心臓が動いているという事。自分の容姿の事。自分自身の事。生き物や動物を〝飼う〟という事。自分の無意識的な言動で、誰かの心の内を知らず知らずに傷付けているという事。誰にも言えない秘密があるという事。人間なのに、人間を怖がるという事。大切に想ってくれている人達を、〝どうか僕を、私を頼って欲しい〟と 自分と向き合おうとしてくれている人達を、信用する事が出来ないという事。過去のトラウマに囚われすぎているという事。大切なものを手に入れるという事。やっと掴めた大切なものを、大丈夫だと確信出来たはずのものを、いつの間にか私だけが大切に握っていたという事。そういう自分の愚かさ、気付けばそれに必死に縋り付いていた自分の醜さ。哀れさ。痛々しさ。

 

それらを全て考えていたら、あまりに心が持たなくて、頭が、心臓が痛み始めた。追い付かなかった。

とても耐えられるものでは無かった。涙が止まらなかった。何度も消えてしまいたいと思った。もし、私が息をするだけで何百人、何万人の人が憂いを感じて、誰も私を望まない世界だったのなら、そうだったのなら きっと直ぐにでも私は羽撃く事が出来たのだろうか。そういう世界だったのなら、消えたくて消えたくて堪らない瞬間に、私が消えて悲しんでしまう人達の事を脳裏で浮かぶ事も無かったのだろうか。

 

そんな事を私は常に考える。考えてしまう。それは既に息をする事と同様。だけど、そういう時間は、嫌いでは無かったりもする。昨夜もそんな事を考えながら、一人で星空を眺めていた。

此処から眺める星空は、どんな瞬間に顔を上げても本当に美しい。いつでもプラネタリウムを観ている感覚。

私の背中を押してくれる者達。

 

私の愛しい友達。

細やかな慎み

その身を飾り立てる事を再び辞めて、私は一層軽やかになった。

夏は温度や水気や光や光の反射や視線や、衣以外に身に纏うものの多い季節だから、これくらいが丁度良いのだと思う。

細やかな慎みとしての衣服を身に纏い飾る為ではなく誰かから、或いは自分から自分への祈りの様な結晶を添える事が出来ればどれほど素晴らしいだろうな。

小さな失くし物

誰もいなくなったカーテンの無い部屋

踏まれて茶色くなった木蓮の花弁

独りぼっちの白鳥

部屋の隅で干乾びた蜜蜂

もう使われる事の無い椅子と机

公園で捨てられた兎のぬいぐるみ

孵る事の無かった小さな卵

割れた蜂蜜の瓶

送らなかった手紙 読まれなかった言葉

捨てられて散らばったチューリップの花束

冷めてしまった野菜スープ

夢の中で撮った写真

森に残された動物の白い骨

人が訪れる事の無い家

思い出せない名前

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言葉の距離

時々、言葉の贈り物をいただく事がある。

素朴な優しい言葉の花束に嬉しくなって、私も同じように花束を拵えようとするけれど、数本の萎れかけた花のようなものになってしまったり、

クシャクシャのティッシュのようなものになってしまったりする。

 


状況や関係性や性格などによって、意味が変わってしまうことが怖くて、適切な言葉というものに自信が無くて、どう伝えれば良いかと考えている内に、自分の言葉からどんどん変化してしまい、何だかクシャクシャになってしまう。

 


とても立派な美しい花束をいただいても、不相応な気がして上手く受け取れない事もあるし、何気無い言葉をトゲのように受取ってしまったり、綺麗な花束だと思ったら造花だったり、投げられた小さな石ころが、刃物になってしまう事もある。

 


自分が受取る事にも臆病なので、伝える事にも臆病になってしまう。

誰へ向けたものでもない言葉をインターネットに放つと、好意的に受取る人もいれば、

私が放ったままの形を変えずに受取る人もいるし

全く違う形に変化したり、誰かの言葉にすり替わってしまう事もある。

 


私の言葉は放たれた時に、もう私のものでは無くなって、その時の相手の中に入り込んだり、仕舞われたり、あるいは受取られずに失くなったり、誰かを傷つけたり貫いたりする。

 


同じ言葉を並べても、それが花束になる事もあれば刃物になる事もある。

意識的にそうする事もあれば、無意識の内にそうなる事もある。

 


言葉と心には少し距離があって、不確かで、私は時々、言葉を信じない。

急にぐったりと元気がなくなってしまった二日間だった。理由は分かっている。

一人で家の中にいると、時々大きな体内にいる様な気がする事がある。
実際、すう、すう、と息を吸い込む様な音が聞こえる。
水道管の音なのだろうか。分からない。


激しい雨が降り始めた部屋の中で、机やコップや眼鏡や戸棚と一層親密になる。
今年は本当に雨が多いな。
今までは傘など必要ない程だったのに。

納得のいく文章を読んだり、新しい情報に接したり、よく出来た美しいものを見るのは喜びだが、この二日間は用事を熟しながらもちょいちょいとそういうものを拾い上げて見る、みたいな事を繰り返していたから、なんだか耳の後ろが重たい。
いい加減に出してくれ、とそう言っている。
本当にその通りだ。


自分にとって本当は要らないものに、時間を費やすのはやめよう。

ぽかんとするほどの美しさや荒々しさ、ワクワクする様な展望の事だけ考えていよう。

幽霊になりたい

心と体を持って、自分が生きているという事に違和感を持つようになったのは、いつからだろうか。
自分が存在している事がこんなにも心許ない。

私は私の事がうまく分からなくて、自分が誰なのかどういう人間なのか説明が出来なくて、伝えられない。

だから、訊かれる事があまり苦しくて、逃げ出したくなる。

健やかな正しさというものが怖い。

 

年齢、性別、容姿、国籍、家族、社会


そういうものから切り離して、私は私でいなくなりたい。

誰にも見つからない様に、景色に溶ける様に、透明になってしまいたい。

誰の目にも写らず、そっと遠くでぼんやり見守っているだけの。

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幽霊の夜

誰かと生きているという感覚は一ミリも無かった。ソファに寝転んでカーテンが風で膨らんでは萎み、顔を撫でていく。それをじっと見ているだけで人生が終わってしまっても良かった。

話相手なんて要らなかった。友達も、恋人も、本の中のお話だった。

全てが遠くて全てがどうでも良かった。

絵が時々上手く描けない事だけが少し心に引っかかっていて、お腹に石が落ちた。

 

どうして、段々と独りでいる事に孤独を感じてしまうのだろう。

カーテンが揺れる。揺れる度、半液体の身体がボタボタと溢れ、形を成せなくなるから途方に暮れている。

長く美しく髪が伸びるまで終わりたくないと。

それを結い上げ、何処かの誰かがそれを登って、抱き合って。なんて寂しい夜だろうと。

 

いつの間にか体が無かった。それはとても恥ずかしく、まだ誰にも言っていないんだ。

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