ずっと遠くへ行きたかった

遠くがある事を知ったのは、広大な自然のある土地を テレビで見た時だったかもしれない。

部屋に寝転び目を閉じて、風の音だけを聴きながらその映像を頭の中で広げ、自分がその土地にいる想像をし、何度も遊んだ。

物語がある事を知ったのは、新学期に教科書をもらった時だったかもしれない。
新しい教科書の物語がある部分を、授業が始まる前に全て読み尽くした。
私は図書室へ通うようになり、誰かと話したり学んだりする事よりも更に物語の中へ没頭し、遠くへ行く事を望み、本の中で語られる言葉を信じた。

本当の事を何も知りたく無かった。

生活の中の暴力や怒りや憎しみや理不尽さを。

 

それから、音楽を聴いて色を知り、絵を見て囁きを聞き、映画を観て景色を見つけ、本を読んで物語に触れる。
そういった事が、常に私を遠くへ運んでくれた。

目を閉じた時の方が、ずっと鮮やかで広かった。

深夜2時の街灯のぼんやりした公園や、早朝5時の青い景色をお化けのように彷徨い歩く事は、私を切り離す事だった。

私にも出来るだろうかと、書いてみた事と描いてみた事があるけれど、そこにはどっしりと私が現れていて、とても居心地が悪く上手くはいかなかった。

 

記憶が過去になると、私を離れてどんどん遠くなる。
写真を撮る事は、そういった感覚になんだか近く本当であり本当ではない、私であり私ではない、そんな遠くの景色を捕まえる事が出来るようで集めている。

日本からみたフランスは遠かったし、フランスからだともう日本は遠い。

戻る場所、帰る場所は無く、だから遠くへ行く事ばかりを考える。

それでまた次は、何処へ行くのかと。

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