本当の幸いとは一体

私は、誰かが「幸福」について話したり「幸せだ」と言う時、その人が満たされている状態だという事を感じる事が出来る。
だけど私は「満たされる」という事がよく分からない。

心が乱れておらず落ち着いた状態の事を心地良いと私は感じるけれど、私にはそれが一番「幸福」に近いように思う。
揺れる草や葉の音を聴いたり、温かかったり冷たかったりする風や、落ちてくる雨粒のリズムを感じたり、湿度を纏ったりする時、鳥の声や動物の気配を見つけたり、青い匂いを嗅いだり
土の柔らかさや光の眩しさを感じる時、

私の心は真っ直ぐに平和だと言える。しっかりと呼吸が出来る。
だけど、やはりそれは「幸福」とは多分少し違うのだろう。

 

『「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあの蠍のように本当に皆の幸いの為ならば僕の体なんか百ぺん灼いても構わない。」』(宮沢賢治銀河鉄道の夜』)

 

ジョバンニの本当の幸いは、きっとカムパネルラと一緒に居る事だったのね。
だけど、皆の幸いの為に体を百ぺん灼く必要は無いのよ。そうあって欲しい。

だけど本当の幸いを失った後は、どうするの?ジョバンニ。